NOM FÉMININ ADORATION

adoration 仏語 女性名詞 熱愛

落とし物・忘れ物

f:id:ydov:20230416215022j:imageNikon Df : Ai AF Nikkor 50mm F1.4D

綺麗で可愛い手袋。持ち主に戻って欲しいけれど。

ずーっと前の若い時、トルコを旅行した。一度行って虜になり、もう一度、じっくり行った。

大して金のない旅行で、それでも随分物価が安かったから何ヶ月か国中をバスで回った。

黒海に面したÜnye(ユンイェ)という町からTrabzon(トラブゾン)という町へ長距離バスで移動する道中、途中のドライブインでのトイレ休憩で小用を足していた時、俺は大変なことをやらかしてしまったことに気付いた。

腹巻きがねえ。

バックパック を背負って旅をするスタイルだった俺は財布とは別に、パスポート、トラベラーズ・チェック(今はもう存在しないらしいですね)、現金といった一切を旅行用腹巻き型貴重品入れに格納し、肌身離さず身につけて旅していた。はじめのうちは寝る時も腹巻きを装着したままだったが、旅慣れた気になった気持ちの甘さだろう、だんだんと身体から外して枕の下に置いて寝るようになっていた。それが間違いだった。腹巻きを枕の下に置いたまま宿を出発してしまったのだ。

顔面から血の気が引いたのがはっきり分かった。金がなければ旅は終わりだ。異国で前の晩泊まった安ホテルへの連絡手段など分からないし、そもそも今と違いスマホも携帯もない時代だ。俺は長距離バスを途中で降り、逆方向への鋪道に立った。とにかくホテルに戻らねば。何台かヒッチを試みるも上手くいかなかったが、たまたまローカルな都市間を繋ぐミニバスが停まってくれた。先へ先へと気は急くばかり。

そんなミニバスを乗り換えながら2時間ほどもかかったろうか、俺はホテルに辿り着きフロントに駆け込んだ。その頃、俺はトルコ語を多少使いこなしていたから、自分から事の顛末を説明しようとした矢先、逆にホテルのフロントマンが早口でまくしたてた。

お前を探していたんだよ、長距離バス停までバイクで追いかけたんだ、掃除のお婆さんがお前のパスポートやら金やら一切を見つけてびっくりしちまったんだ。

俺のトルコ語能力を超える会話がテレパシーのように一瞬で全て伝わって来た。俺は腹巻きが戻らないと思っていた。しかし、腹巻きはそっくりそのまま俺に手渡された。

丁重に礼を述べ、再び次の町Trabzon(トラブゾン)へ向かった。ホテルへ戻る道中の不安の中で眺めた海沿いの景色と、ほっとして脱力した中で改めて眺めた秋の黒海沿岸の景色が忘れられない。

無くしものが他人の力を借りて持ち主に戻るってすごい事だと思う。無論、人生で戻ってこなかった落とし物・忘れ物は無数にあるし、反対に拾い物を自分のものにした事だってある(悪だぜ)。だから、この時ばかりは本当に幸運な巡り合わせだった。助かった。

以後、旅行中、腹巻きだろうと首掛けだろうと貴重品入れというものを、シャワー浴びる時以外は身体から外すことが決してないまま今日に至る。

ってことは、次はシャワー室に置き忘れたりして。